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【アラベスク】  第18章 恋愛少女



第3節 女同士 [12]




「私はてっきり来週だと思ってたんだけどね、講義に出ていた友達が、先生から提出を求められたって。周りの子はちゃんと持ってきてたから、完全に私たちの勘違い。あぁ、どうしようっ」
 最後はもう叫びそうな勢い。智論は両手を顔に当てた。
 レポートの提出。それって、ひょっとしてすごい重要なんじゃない?
「どうしよう、どうしよう。あの先生、かなりシビアだって噂だからなぁ。講義サボったうえにレポートも忘れてたなんてコトが知れたら絶対に許してくれないよぉ。試験やらないで出席状況とレポートの内容だけで単位決める年もあるって聞いたコトあるし。あぁ、どうしようっ」
 瞳を閉じて額に皺を寄せる。
「なんとか、なんとか乗り切る方法は?」
 美鶴の存在など忘れてしまったかのよう。ブツブツとまるで念仏でも唱えるかのように唇を動かすその姿を見ているうちに、美鶴はなぜだか笑いがこみ上げてきた。
 笑っちゃいけない。でも
「ふふっ」
「あ、今、笑ったでしょ」
 薄めでジロリと睨みつけられる。慌てて口元を引き締める。
「す、すみません」
「いいわよ、いいわよ、どうせ悪いのは私なんだし」
 盛大な溜息と共に再び瞳を閉じる。
 大学生、だよね?
 改めて智論を見つめる。
 なんだが、こうして見てみると、どこにでもいる普通の女性って感じだな。
 店に入った時に抱いていた不愉快さが、少し消えている。
 なんだか、おもしろい。
 再び笑いそうになるのを必死に堪える。
 高校生も勉強大変だけど、大学生も結構大変なのかな。高校卒業しても大学に進学したら、また二年間なり四年間なり勉強する事になるのかなぁ? でも巷を見てると、大学生って結構気楽そうに見えるけど。学年によるのかな? 智論さんは見たところ一年生ではないようだし。去年の秋に会った時だって、大学だか学校だかがどうのこうのと言ってたから。
「高校卒業しても、大変なんですね」
「そうよ、大学生だって遊んでるワケじゃないんだからね」
 口では返事をしながら、頭の中は提出しそびれてしまったレポートでいっぱいといった雰囲気だ。
「三年とか四年になれば余裕も出てくるけど、一年や二年はまだ必須科目なんかも詰まってて忙しいし。って、そんなのはただの言い訳かぁ」
 へぇ、一年とか二年は忙しいのか。って、あれ? 一年か、二年?
 何か、腑に落ちない。
 智論が大学一年生であるはずがない。去年の秋にはすでに大学に通っていたのだから。ということは、今の会話を聞く限り、智論は二年生だという事になる。
 智論さんが、大学二年生?
 何かが、理解できない。
 それが何なのか理解できないまま、美鶴は瞳を泳がせる。智論は気付いてはいない。
 智論さんが大学二年生だということは、私たちより二年上という事になる。と言うことは、私が唐渓に入学した時、智論さんは同じ唐渓高校の三年生だったと、いう事になる。智論さんが二つ年上なら、霞流さんは、三つ年上という事になる。美鶴は彼の年齢を知らない。だから、それが間違っているかどうかなどはわからない。
 だけど。
 そうなると、涼木魁流も三つ年上という事になる。ツバサと彼は三つ違いの兄妹という事になる。
 でも、ツバサの話を聞いていると、もっと離れた兄妹だって印象がある。もちろん、お兄さんの年齢だって聞いたワケじゃないんだけれど。
 目の前の女性を見る。
 同じ高校に一年間通っていたのだろうか?
 智論は在学時代、美鶴の存在を知っていたような雰囲気は無い。美鶴は入学した時から嫌われ者で厄介者だった。同学年どころか、上級生からも目をつけられていた。
 智論は、美鶴の存在を知らなかったのだろうか? 一つ年上の織笠(おがさ)(れい)の存在を知らなかったように。
 でも、織笠鈴の場合は、彼女の存在自体が薄かった。学年が違っていれば知らなくても当然だと思えるような存在だった。だが美鶴は違う。自ら他人との摩擦を起こし、自ら嫌われるように振舞っていた。
 でも、他学年だし、別に知らなくても。
 思いながらなんとなく納得ができなくて、口を開いてしまった。
「あの、智論さん?」
「ん?」
「智論さんって、大学二年生ですか?」
「そうよ」
「じゃあ、私とは」
 そこで言葉に詰まった。
 ひょっとして智論さん、浪人してるとか? だとしたら、この質問は失礼なのではないのか?
 己の愚かさに動揺して言葉を失う美鶴に、智論は事も無げに言った。
「私、大学を入りなおしているのよ」
「入りなおす?」
「えぇ、最初は別の大学だったの。京都の、女子大。でも中退して、別の大学に入りなおしたの」
「どうしてですか?」
「勉強したい事ができたから」
「勉強したい事?」
 手の中の小瓶を見つめる。
「香りについて、ですか?」
「まぁ、そんなところ。よくわかったわね」
 どうしてわかったのか、わからない。ただ、この小瓶を美鶴に手渡した時の、智論のあの、少し期待を込めたような、自分から手渡しておきながら少し緊張したような、こちらの顔を覗き込むような態度を思い出し、なんとなく、そう思った。どう? と尋ねてきた時の智論は、期待と不安を織り交ぜたような顔をしていた。学んだ成果を試してみたい。評価してもらいたい。でも、ダメかもしれない。まだまだ未熟なのかもしれない。そんな感情が()い交ぜになっていた。
 それに彼女は先ほど、香りについて学んでいると言っていた。
「私ね、最初は文学部に進んだの。別に文学や文章に興味があったワケではないわ。ただ、なんとなくね」
 そこで意味ありげに笑う。
「学校の勧めでもあったし」
 チクリと、胸に痛みが走る。美鶴は自分の進路を、決めかねている。







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